成田空港を運営するNAA(成田国際空港)が2022年9月、同空港の機能強化の一環とし、現在ある3つの旅客ターミナルを、将来的にひとつのターミナルに集約する構想を発表しました。この構想について一部から、「(東京都心から遠い)成田ではなく、(都心に近い)羽田空港に国際線を集約させるべきでは」といった意見も見られます。
しかし、いまでこそ成田・羽田から国際線が離着陸するようになりましたが、かつては「国際線は成田、国内線は羽田」と厳格に区分けされていたのです。これが、どのように変わったのでしょうか。
「国際線は成田、国内線は羽田」という区分けが設定されたのは、1978年のこと。理由は成田空港(当時は新東京国際空港)の供用開始です。
新東京国際空港は、高度経済成長下における航空需要の増大によって、1970年頃には羽田空港のキャパシティがパンクするという運輸省(現・国土交通省)の予測から、首都圏に羽田空港を補佐する新空港が不可欠との判断のもと建設されました。羽田空港の海上を埋め立てる案なども考えられましたが、工事が困難であったことや、拡張した場合の着陸ルートとしてアメリカ空軍基地である横田飛行場を通る可能性があったことから、羽田以外の場所に新たな空港を設置することになっています。
新東京国際空港は当初は滑走路3本での運用が計画されていましたが、用地取得が難航。その一方で、羽田空港の処理能力も「羽田空港が混雑しているときは名古屋空港に一時着陸して地上待機する」といった緊急指示が発せられるほど限界に達していました。そこで、成田空港は、1本の滑走路とひとつの旅客ターミナルという”最低限”の体制で、1978年の開港を迎えることになりました。こうして羽田発着の国際線のほとんどが、成田へ移管されたのです。
以下ソース
https://news.yahoo.co.jp/articles/1499c6ae92b6b43bd3f595a78787ca357db13897
バブルとともに
航空の国際便だけは増える
将来、成田と羽田だけでは国際便はパンクするだろう
関東に第三の国際空港が必要になる
鉄は海外でも衰退産業
日本は鉄道の旅客人員だと狭い国土で世界シェア4割の異様なまでの鉄道大国
アメリカ軍の空域がでかすぎて羽田の拡張ができん
アメリカ軍の空域を整理し24時間空港化できれば羽田と関空で日本の国際航空を2分して回すことができる